瞑酩走

走り、酒を飲み、気ままに、寅さんのように。

特別なその背中

27日 7,77k(計測ミス)


28日 4,38k 39:11(8:57ペース)階段トレ3往復+8階まで(ダッシュ)


29日 20,15k 1:47:59(5:22ペース)


5時に起きるものの、今朝も雨音が聴こえてきて二度寝に入るが、ラインの音が何度も鳴り寝れずじまい。スマホ見ればラン仲間とのグループラインに、この雨で水戸マラソン不参加や、次に向けての励ましのメッセージ等々。


テレビの天気予報を観れば、この日曜日も台風の影響で一日雨と。気温も低いので風呂を予約設定して沸かすことにするが、何時間後に設定するか迷う。窓から外を見たら雨も強くなってきていて、時折横殴りの雨にもなっている。最低でも20k、あわよくば30kと考えていたので、2時間後の10時に設定して走り出す。
この天気で家から3kの公園も誰も居ない。川沿いまで行くつもりも誰も居ないので、公園の外周を目一杯つかいグルグル回る。
雨風も強くなり今日のフルマラソンは厳しいだろうし、当然タイムも期待できないだろう。そう云いながら今も、グループラインで仲間の頑張りが入ってくる。
自分はといえば30kどころか、この天気だし20kジョグの2時間も走れば立派なもんだと。風呂を2時間後の予約設定した時点で決まっていたと云うことだ。
弱いものである。


マラソンを30歳からやり始め今年で18年目になる。フルは何度走ったろうか。几帳面ではない私だけに正確な数はわからないが、25前後は走っているだろう。
一番の思い出は、初フルに初サブスリーだ。
初フルは山形県での大会で、初サブスリーは一年半後の勝田マラソン、その時は32歳の時で、マラソン3度目での達成だった。2度目のつくばで狙っていたが、結果は3時間3分と一歩届かず。
初フルと初サブスリーがなぜ一番の思い出か。どちらも初だったからではない。


この二つのレースは兄と走ったレース。
私の人生、兄がいなかったら今の自分はいない。
死んでいるか、ヤクザにもなれないチンピラにでもなっていただろう。
兄は空手をやっていた。兄の強さに憧れ、兄を超えたくて、見よう見みまねで庭にあった砂袋を叩いていた。そのとき兄は高校生で、よく相手をさせられ痛めつけられた。


中学までは野球をやっていたが団体競技の煩わしさ、当時はそんな思いもあって高校からはボクシング部に入った。入ったと云えば聞こえは良いが、地元で入れる高校もなく親元を離れての寮生活だった。


母への想いも、兄への想いにも、私の中で気持ちの変化があってきたのはこのころだろうか。
この時期のことは別な機会に書き残すことにしよう。


兄と15k過ぎまで並走した勝田マラソン。
兄が云った「俺はこのペース無理だ。先に行け。3時間切れるぞ。がんばれ」
40k手前から勝田名物の強風に押し戻され何度も諦めかけたが、このレースで絶対に3時間切ると決めていた。兄にも云っていた。
2時間57分台でゴールした。
うれしかった。
感動もした。


着替えて兄のゴールを待った。
ジョグになっていてキツそうだった兄が
「3時間切ったか」


「切ったよ」


「やったな」
この時の兄の笑顔は鮮明に覚えている。


駐車場まで兄が見送りに来てくれた。
「運転きをつけてな」


帰りの途中で母に電話した。
何を話したかは覚えてないが、運転しながら泣いていたのは覚えている。
サブスリーがうれしかったのではない。
兄に対しての感情だった。


朝一番に妻が云った「お兄さんとジイジの誕生日だね」


兄の背中を見てきた。


これからも兄の背中を追いかけて生きていく。


その大きな背中を。

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