秋のおわりに
16日 32.18km 3:04:14(5:44)隣の市の川沿い折り返し
有給休暇で遅めの7時49分から走り出す。前日の筋肉痛は左足のみ。右膝の痛みから右足を庇って走ったからだろう。酷いのは左足の張り。日常生活の歩き方もおかしくなる。
17日 6.08km 37:47(6:13)昼休みジョグ(91)
右膝の痛みあり。
18日 走らず。
19日 20.51km 2:08:20(6:15)倉庫周りから新興住宅地グルグル
朝ジョグ、6時14分から。
14.58km 1:27:35(6:00)倉庫周りから新興住宅地グルグル
午後3時50分から。朝ジョグ、午後ジョグ、右膝の痛みあり。
20日 5.00km 41:59(8:24)昼休みジョグ(92)
歩きとジョグ。
9.00km 1:14:36(8:17)乗り換え駅から帰宅ジョグ(83)
歩きとジョグ。
21日 4.15km 36:34(8:49)昼休みジョグ(93)
スロージョグ。
22日 30.35km 3:06:30(6:09)倉庫周りから新興住宅地グルグル
6時40分から走り出す。右膝の痛みは後半に麻痺して違和感程度に。。
23日 3.75km 39:44(10:35)昼休み階段トレ10往復
走らず歩きで。
10.12km 1:22:47(8:11)乗り換え駅から帰宅ジョグ(84)
スロージョグ。
24日 17.39km 2:09:18(7:26)帰宅ジョグ(85)
アベレージ7分も切れず。右膝の痛みあり。
25日 走らず。
26日 35.27km 3:22:17(5:44)倉庫周り~新興住宅地~川沿い
早く起きれず7時52分から走り出す。倉庫周りから新興住宅地グルグルも飽きてきたので新ルート開拓。川沿い不整地で脚に優しい良いコース。
後半は麻痺し痛みが消える。
27日 走らず。
28日 6.14km 35:28(5:47)昼休みジョグ(94)
17.36km 2:03:33(7:07)帰宅ジョグ(86)
右膝の痛みあり、走るのが苦痛。
29日 35.00km 3:17:17(5:38)倉庫周り~新興住宅地~川沿い~不整地
目を覚ました時の怠さ、起きようと寝返り動作の時の右上半身の重さ、特に肩から腕は酷い。筑波山に行く気持ちも強い意志も簡単に崩れ再び寝落ち。
6時55分から走り出す。ここ最近、長い距離を踏めば右膝の痛みは消える傾向にある。
午後は電車で乗り換え駅の街へ。本屋に行くが混んでいて自分のペースで横移動ができない。
三島由紀夫、没後50年で山積みにされていた本を手にする。興味深いのもあるが、まずは図書館でアップ程度にしてから買おう。
その後に隣接されたビルの地下へ。角上魚類魚類へ刺身でもと行くが、ここはごった返す混みよう。お目当ての豆鰺の南蛮漬け一つだけで購入し帰宅。
どちらも日曜日行くのはきょうが最後か。
30日 25.08km 2:24:26(5:46)倉庫周り~新興住宅地~川沿い不整地
有給休暇。
目覚ましが鳴っても起きれない。連休なので右上半身の怠さ重さは昨日よりは良いのだが、これは気持ちの問題しかない。
6時01分から走り出す。今シーズン一番の冷え込みで初のロングパンツで。手は悴み公園の便所で尻を拭くときに難儀する。秋から冬へ、尻を拭きながら実感する。
休日に30km走らなったのは寝坊もあるが、家の鍵問題と次女が何時に学校に行くかはっきりしない、この二つの理由で25kmになってしまった。
帰宅したら次女は気持ちよさそうに寝息を立てていた。もう一度走りに行くか考えたが、今月は今朝の25kmでぎりぎりの500km。
十一月は走らなかった日が八日間。22日間で500kmはまずまずでないか。右膝の痛みもあったなかで、これだけでも酒のつまみ二品に相当する。
11月12日 胃カメラ検査と腹部超音波検査
主治医の第一声に緊張する。
「これは慢性胃炎ですね。軽い慢性胃炎だから心配ないですね」
「大丈夫ですか?」
「年齢からくるのもありますから」
「はあ~。よかったです」
「腹部超音波検査も問題ないですね。肝臓、膵臓、腎臓、脾臓、心配ないですね」
「酒飲むので肝臓が気になってたんですが」
「稀に肝臓への転移、ほんとごく稀に肝臓への転移もありますが、〇さんの場合、完璧に深く取ってますからまず心配ないです」身振り手振りの説明に安心さが増す。
これで結果説明が終わりそうな気配だったので、もう一つの結果説明。
「血液検査の結果はどうですか?」
「そうですね。血液検査ね。ほとんど問題ないですが総コレステロールが少し高いですが、〇さんは善玉コレステロールがものすごくいいので、これでカバーしてるというか総合的にみて心配ないですね」
「ということは、いままでの食生活で大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですね」
いつもの微笑みでわたしの顔を見ながら。これだから患者は安心するし、この医師にすべてを任せられる。
「次は来年のいまごろに大腸カメラと胃カメラ検査でいいですか?」
「そうですね。検査の前に診察があるので予約の確認を電話でお願いします」
「わかりました。ありがとうございました」
「はい、おだいじにしてください」
椅子から立ち上がり、診察室を出るときにもう一度、深々と頭を下げながら
「ありがとうございました」
、
なんて気分がいいのだろうか。会計5千円ちょいの高額も気前よく現金払い。
帰りの電車でこの医師に初めて診てもらった日を思い出していた。
検査だけの病院からの紹介状を貰い。病院名もない紹介状を持ち、病院を探し電話確認したら、その日の夕診がたまたまこの医師だった。その日から四ヶ月余りの不安な日々。入院も一人、退院も一人。望んだ一人の入退院ではあったが、なにか違うのではないか。そんな気持ちも過ぎ去ってしまえば、、、、、。いま書いてるのだから心に残っている、過ぎ去ってはいない。しつこい野郎だ。
11月8日
その日の朝は珍しく妻が起きていた。6時前だった。
「いまから実家の柿取りやるんだ」
「あっ、そうなの」
走る準備をしていたら妻がいつの間にか居なかった。いつもの豆乳を飲んで一息ついていたら庭が少し騒がしい。二階の窓から外を見たら実家の家族総出で柿取りの準備をしている。久しぶりの義母さんも見えた。柿の木を見れば今にも落ちそうなほどたわわに実っていた。
いつものコースに走りに行く。後ろ髪を引かれない訳ではないが、いまのわたしは以前の様に柿取りなんかできやしない。
走っても走っても柿が頭から離れない。誰が脚立に乗って取っているのか。交代で取っているのか。柿が道路に落ちる可能性もあるから、道路にも一人居ないといけない。車との接触の危険もある。誰が見ているのか。交代で見ているのか。
走り終え二階のリビングから外を見る。柿は無かった。綺麗になっていた柿の木は寒そうにも見えた。
カーテンを閉めようとしたとき目に入る柿の実。一番高いところにある五個の柿の実。何も気づかずシャワーを浴びてサッパリしていたら、妻がビニール袋に入った柿を数個持ってきて
「パパは柿食べないよね?」
「だね」
食べる資格はないだろう。だから云った言葉。
「一番上の柿は取れなかったんだ」
四人で取れなかった柿。わたしがやっていれば取れた柿。
もう元の家族には戻れないだろうか。
義父、義母、義姉、妻、私。
たのしかった五人に戻れるだろうか。
いまも落ちていない熟した五個の柿の実。
五人の大人と五個の柿の実。
これは偶然、こうなってしまったのは必然か。
そんなことはあるまい。
いずれ落ちる五個の柿。
潰れた柿を見て四人はなにを想うのだろうか。
季節は秋から冬へ